2007-07-31

もう一度行ってみたい場所:Mt.Rainier Paradise







ポートランドからも晴れた日には遠くに望むことができる。Mt.Rainier National Parkは夏に一度訪れた。ポートランドから200キロぐらい北東に行ったところ。国立公園にはいると、氷河に覆われた白い頂が見え隠れする。雄大な景色に圧倒された。

Mt.Rainierはカスケード山脈最高峰、高さ4,392m。夏にはパラダイスと呼ばれる高山植物が美しい場所まで車でアクセスできる。天候がゆるせば、お花畑が眼前に広がる....と期待していったが、パラダイスはあいにくの濃い霧につつまれていて、花園はお預けとなった。

今、インターネットサイトで360度の光景が楽しめる。ぜひもう一度訪れてみたい場所だ。

2007-07-29

思い出のコンサート:Cirque du Soleil









思い出のコンサートというより、ショーかもしれない。東京の代々木体育館横にカラフルなテント小屋が出現し、大勢の人の流れが原宿から延々と続く異様な光景がそこにはあった。

2003年にシルク・ドウ・ソレイユの『キダム』を見に行った。感動した。

キダムを見る半年前、西元まり著『アートサーカス:サーカスを超えた魔力』(光文社新書)が出版され、おもしろく読んだ。あのすばらしい舞台裏には厳しい競争と選択があることを知り、ぜひ一度本物の舞台を見てみたいと思った。以下は、その時の読後感想。Back Stageにこそ、芸術を生み出すイノベーションの源泉がある。

まだシルク・ドウ・ソレイユの舞台をご欄になっていない方、オフィシャルホームページでぜひその芸術の一端をご欄ください。

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『シルク・ドウ・ソレイユ』のシルクとはフランス語でサーカスのこと。直訳すれば「太陽のサーカス」とでもいうのだろうか。カナダのモントリオールから世界に、この新しい芸術が発信されたのは1984年。日本には1992年の『ファッシナシオン』、94年『サルティンバンコ』、96年『アレグリア』、2000年にはモーニング娘。をファンクラブ代表にして『サルティンバンコ2000』というツアーショーが日本各地で行われ、124万人の観客を動員したというから、ご欄になった方も多いのではないか。

サルティンバンコ2000だけでもざっと著者が試算したチケット売上は100億円を越える。現在、40カ国以上から集まった2400人を超える雇用者を抱えた企業集団としてのシルク・ドウ・ソレイユは、見る人をアッと驚かせる芸術としてのサーカスを作り上げただけでなく、それを支える事業システムを作りだしたことでも注目される。

わたしのシルク・ドウ・ソレイユとの出会いは、サクラメント滞在中の98年。自宅のケーブルテレビの番組で、見るとはなしに見はじめたら、最後までやめられなくなった覚えがある。今この原稿も、『サルティンバンコ』のサウンドトラック版のCDを聞きながら書いている。最初から最後まで、切れ目無く続くアクロバット演技、空中ブランコの演技、そして空中バレーのようなエアリアル・フープ(空中で輪を使う演目)のあいだ中、ルネ・デュプレの幻想的な音楽が舞台を一層きりっと引き締める。

98年は、何度かサクラメントと成田を往復したが、サンフランシスコからの帰りの機中で、一度NHKの『新クイズ日本人の質問』という番組にレギュラー出演している女優さんと席を隣り合わせた。その筋に疎いわたしはそれとは知らず、食事の時に「お仕事ですか」などと話かけたら、ラスベガスでシルク・ドウ・ソレイユの『オー』を観ての帰りとのこと。なんと、そのときはじめてシルク・ドウ・ソレイユという名前を教えてもらい、ケーブルテレビの番組が『サルティンバンコ』であることをおそわった次第。

『“O”(オー)』byシルク・ドウ・ソレイユ
98年にスタートした、ラスベガスのホテル「ベラッジオ」内の専用劇場での常設ショーで、専用劇場の特殊プールは深さ7.6m、奥行き30m、幅46mの楕円形で、670万トンもの水をたたえているという。その水の中から床が上がってきて、水が消えるというから、想像したくともできない大掛かりな仕掛けのようだ。ぜひとも観てみたい。シンクロのオリンピックメダリストも出演しているという。この本の著者は、シルク・ドウ・ソレイユを一目見てすっかりとりこになったそうで、それからというもの突撃取材を情熱的に繰り返し、シルク・ドウ・ソレイユの歴史から、出演者として選ばれるまでの厳しいオーディション・プロセス、選ばれた後のアーティストたちの人となり、技術をマスタするまでの厳しいトレーニングまで、すっかり調べ上げている。

こうした厳しいオーディションを潜り抜け、日本人も舞台に出演しているというから頼もしい。92年バルセロナ五輪でシンクロ銅メダルを獲得した奥野史子もその一人。ラスベガス入りしてホテル「ベラッジオ」のプールでの初めての練習を行った奥野は感想をこう語っている。

『さすがに緊張しました。水中にはいると衣装がひじょうに重いので泳ぎにくかったのですが、泳ぎやすさよりも観客に対する見た目というか、美しさ、おもしろさを重視しているあたりは、やはりスポーツというよりもショーなのだということを実感しました。同時多発テロがあったすぐ後で、当初はこちらに来ることも心配していましたが、ショーは連日ほぼ満員で、最後のカーテンコールはスタンディングオベーション。こんな状況は想像していなかったので、とてもうれしいです。観客の歓声は私たちのパワーの源となり、もっと頑張ろうとする力を与えてくれます。とにかく楽しいのひとことです』

観客の歓声に押しだされて、よしもっと頑張ろうと、より一層自分の力が出せることが、ショーのすばらしさなのでしょう。今、日本では2月から『キダム』が連続講演を続けています。ぜひとも代々木のビッグトップに出かけていって、生のシルク・ドウ・ソレイユを観てみたいものです。みなさんも一度おでかけになってはいかがでしょうか。きっと全く新しい世界が、みなさんを待っていると思います。そこで感動して、よおーし、もう一度頑張るぞ、という思いにさせられること、うけおいです。

この頃のわたし

7月に異動して早や4週間が経つ。これで6回目、職場が変わるのは慣れっこで、環境適合能力があるからもう慣れただろうと、言ってくれる同僚もいる。確かに職場が変わることには慣れている。その大変さも心得ている。それでも年を経たせいか、今回の異動でも考えさせれることが多い。

組織は、ある方針に従って継続して行動することが大切である。伝統の強み、継続は力なりのことわざ通り。しかし、時に断絶的な変化を起こすことが必要となる。いわゆる地殻変動で、古い建物、考え方、風習を打破することが必要となる。

断絶的な変化、これをトランスフォーメーションという。日本語では変革というのかもしれない。ずっと前から変革は辺境で起きるという漠然とした思いがある。社長の目が光っている本社、いろいろな思惑が渦巻いている本丸からは変革は生まれない。辺境といわれるぐらい現在を仕切る力が及ばないところで、気ままに思いのたけをたぎらせてことにあたっているところから、現在の常識を打破する、「非常識」なことが生まれると信じている。

今回、いわば辺境の地から、いろいろな思惑が渦巻いている本丸に異動した自分にできることは何か?岡田武史さんではないが、それを考えるとワクワクする毎日である。自分は浦島太郎に違いない。ここ10年、本丸で何があったかは、よく知らない。どうでもいい。自分らしく情報発信するのみ。半導体の譬えではないが、ボロンという不純物があるが故に、自由電子の流れができるように、浦島太郎である自分の言動により、新しい情報の流れを生み出させるかもしれないと思っている。

ただ、ギリシャの言い伝え、トロイの木馬のように、ある必要最低限の同じ思いを持った集団(これをクリティカルマスという)を集めてはじてコトを為すことができると。所詮一人ではなにもできないと諦めるか、それとも人ひとりが変わらねばなにも変わらないと思うか。。。。

自分は半導体のアナロジーにかけてみたいと思う。いわく、不純物こそが大きな流れを生み出すトリガーを引くと。しかし、不純物が一定の割合で存在しないと大きな流れも生まれない。不純物をある程度寄せ集める作業が必須だと思う今日この頃である。

もう一度行ってみたい場所:Portland, OR







ロングアイランド在住の時、毎月自宅近くのマッカーサーエアポートからシカゴ経由、オレゴン州ポートランドに出張した。シカゴを出て、3時間ぐらいするとロッキー山脈が見えてくる。そして、ポートランドが近づくと、Mt.Hoodのまわりを旋回して、ポートランドの街へと高度を下げていく。

Mt.Hoodは最初聞いたとき、えっマウントフジ...なんで聞き返した覚えがある。姿かたちも似ている。ポートランドに着陸すると、レンタカーを借り仕事場に行く。道すがらずっとこの山をバックミラーで見ながら、仕事場に向かう。

仕事は長いときは1週間に及ぶ。ポートランドを経つのは金曜夜中のレッドアイになることもしばしば。夜通し飛んで朝方着く便のことをレッドアイという。シカゴに朝3時頃着き、ロングアイランド行きの便に乗り継ぐことになる。眠い目をこすりながら、ユナイテッドのシカゴターミナルを駆け足で移動する。若くないととてもできない芸当だった。

2007-07-28

もう一度行ってみたい場所:San Francisco Airport







サンフランシスコには、何回飛んだか数え切れない。日本から行く場合、朝方にシエラネバダ山脈とサンフランシスコ湾が見えてくる。すると、帰ってきたなあ、『ただいま』という変な思いがふと沸いてくる。朝靄の中のサンフランシスコは特にきれいだ。

空港からレンタカーで、まず向かうのは、空港からすぐのところにあるヤムチャの店。フカひれ入りギョウザスープに赤いお酢を少したらして食べる。うーん、うまー。また、嬉しからずや!

お腹を満たした後は、一路サクラメントを目指して、ハイウエーをかっ飛ばす。Bay Bridgeを渡る頃には眠気も吹き飛び、すっかりアメリカに溶け込んだ自分がハンドルを握っている。サクラメントまでの2時間、FMラジオからは70-80年代の懐かしいロックミュージックが流れてくる。

2007-07-27

思い出のCampus:Purdue University







シカゴ空港から、12人乗りのプロペラ機に乗り、30分ほどトウモロコシ畑の上を南に滑空すると、インディアナ州ウエストラファイエットのパデュー大学構内にある飛行場が見えてくる。ウエストラファイエットは、街全体が大学街だ。

20年以上前になるが、この州立大学のIndustrial Engineering学科と技術研究で交流があった。10年近く、毎年日本からも留学生が派遣された。それまで、生産技術者が海外留学する機会は非常に限られていたが、経営者の先見性とはこうしたことをいうのだろう。おかげで毎年10人、20人単位で、生産技術畑の人が海外視察と称して渡米し、米国製造業の現場を訪問したり、大学における自動化、工場経営の研究成果に接することができた。

パデュー大学に視察チームがはじめて訪問した際、「ドライタウン」の意味がわからなかった。大学のキャンパス内だけでなく、街中でもお酒が売っていない。ある人は、マクドナルドに行き、メニューにルートビアとあったので、ビールだと思って注文したという笑い話もあった。以後、視察チームが訪問する時は、必ず日本出発時にパデュー滞在時に消費するお酒を仕入れていけというノウハウ集まで発行された。

パデュー大学はカレッジフットボールでも有名。近くのインディアナポリスでは、あのインディ500のレースが行われる。工学部長や、IE学科長、多くの研究者の方々との交流は懐かしい思い出である。

2007-07-25

もう一度行ってみたい場所:Logan Airport Traffic Control








MITで所属したMan-Machine Systems Labの指導教官、Tom Sheridan教授は、コックピットの設計とパイロットの操縦疲労が研究テーマの一つ。空港関係者にも顔が広い。

ある日、ボストンローガンエアポートの航空管制室を特別に見学する機会があった。管制塔があるタワーに上ると、滑走路が本当によく見渡せた。管制室の中に、レーダーによるモニターリングを行う部屋があり、暗い部屋にグリーンのモニタ画面だけが光っていて、空気がピーンと張り詰めていた。

その後アメリカに赴任することになり、出張の連続で、これほどいろいろな都市の空港を使うことになるとは、当時は想像もつかなかった。空港も懐かしい場所のひとつ。

(ローガン空港の管制室写真がみつからないので、写真は別の空港のものです。20年前と違って、今はカラーモニタの端末が並んでいますが、当時はグリーンのモニターしかありませんでした)

2007-07-24

IBMのTransformation推進役:Linda Sanford

IBMのService Science研究について先にご紹介したが、Service Science研究成果は、IBMが提唱する21世紀に生き残る企業が目指すべき”Innovation“に関する取り組みを集めたページの一部となっている。

その中に、実業界におけるInnovation事例を紹介する項目があり、IBMの社内改革担当役員であるLinda Sanford, SVPがMITに出向いて講演したVideoが掲載されている。IBM社内をどう改革したか、参考になるので紹介する。

ここで、なぜMITに出向いてIBMの役員が講演するかというと、IBMで長くマーケティングを担当してきた、Irving Wladawsky-Berger氏がリタイアしてMIT教授に就任したことが理由と推察される。

講演者のLinda Sanford, SVPがメインフレームやストレージ事業担当役員として社内改革を推進し、Irving Wladawsky-Berger, VPが社内管理効率化を優先する縦組織から、顧客に軸足を移してグローバルサービス提供ができるよう、顧客接点をより顧客よりに変えていくマーケティング改革担当、との役割分担だったという。

Irving Wladawsky-Berger現MIT教授のBlogは、毎週月曜日更新され、大変興味深い情報が発信されています。ぜひこちらもご参照ください。

なお、Linda Sanford, SVPの講演Video(2006年10月17日:講演時間90分)はこちら、で現物をご確認ください。ちなみに、Linda Sanfordは2006年1月に本を出版しています。おもしろそうです。Let Go To Grow: Escaping The Commodity Trap (Ibm Press)

-----------Linda Sanfordの講演概要-------------

1. IBM社内のトランスフォーメーションの背景(21世紀に生き残るには)

①IBMをハードウエアの会社からサービス会社につくりかえる
②IBMは世界各国にミニIBMをつくり、人事・販売・経理・開発・生産・保守まで国別に別々のシステムをつくり事業運営するマルチナショナルカンバニーで、重複の無駄があった
③ハードウエア事業は、コモディティ化が進み、価格競争に晒され、利益率が低下する一方、世界経済はサービス産業比率が増大し、サービス事業の増大なくしてトップラインの増大はない
④技術革新、特にインターネット革命に乗り遅れては生き残れない。コモディティ化による価格競争が激化する以前の1995年から1998年に間にFortune500社に選ばれた1008社の内、今も生き残っている企業は16%しかない(84%は会社倒産)という統計がある
⑤IBMはコマンド・コントールによる社内管理コスト最小化を図る階層型組織の会社であったが、21世紀、グローバル化が進展し、技術革新が進む中、会社の構造自体を見直し、他社・顧客とも連携して、他社に一歩先んじたサービスを生み出すイノベーションを起こせる会社だけが生き残れる。(そうしないと、急速な変化、先行き不透明な世界で生き残れない)
⑥キーワード
•オープン
•コラボレーション
•部門の壁を打ち破る(業際)
•グローバル

2.IBM内でイノベーションを起こす試み
①社内でイノベーションを起こすエンジンとは
•製品
•サービス
•業務プロセス
•ビジネスモデル
•マネジメント・企業文化
•ポリシー
従来はなにからなにまで全部社内で自らやることで管理コストを最小化したが、今は人事、経理業務など専門の社外サービスを利用するなどして、自ら強みを発揮できる業務に特化し、他社よりも早く変化を生み出し競争力につなげる、ビジネスモデルのイノベーションが最も重要と考えている

②IBMのトランスフォーメーションから学んだこと
•IBMは2002年から第2段階のトランスフォーメーションを開始した
•業務プロセス変革と、技術革新と、会社価値(Value-based Culture)明確化の3本立てで同時に改革を推進することが重要
•会社価値明確化とは、例えば売上利益のような業績もさることながら、プロセスを改善することにフォーカスするようインセンティブシステムを変更すること

③IBMのビジネスモデル変革
•従来はBack Officeの基幹業務に管理の重点があったが、これをFront Officeに軸足をうつすこと
•SCMコストの分析、見える化はかなりできたが、顧客、売上増大に対する分析、見える化ができていない
•どうすれば売上増大が図れるか、他社、市場平均を上回る売上成長を実現できるかが分析できるようにし、セールスリソース配置の最適化、顧客カバレッジの最適化が図れるようにすることが必須
•IBMはそのために、セールスの前線に立つ従業員に、必要な会社経営情報を開示し、自らの判断で顧客へよりよい対応サービス提供に向けた行動が取れるように、前線社員のエンパワーメントを図った
•一方、back office業務は徹底して業務標準化を図り、シェアードサービス化した
•人事はノースカロアイナローリーに集約、経理はブラジルに集約化した
•次に、グローバルに社内リソースを活用できるようなしくみをつくった
•そのために、いつでもどこでも業務ができるように業務環境を整備した
•最後にコマンドコントロールに変わる業務遂行を支える基本として、会社価値を従業員全員に徹底し、業務指示によって動くのではなく、会社価値によって今何をすべきか判断できるようにした
•2006年のCEOサーベイ結果を見ても、50%を越える世界のCEOはイノベーションが社外との連携から起きると考えている
•自社の社員がイノベーションを起こすとの期待は一番大きいものの、次いで顧客、ビジネスパートナーとの連携から起きると考えており、社内の研究開発から起きるとの期待より、社外連携への期待の方が大きい
•こうした社外連携によるイノベーションを実現するためにも、第一線の現場従業員が顧客やビジネスパートナーと迅速に行動できる、自ら判断して行動できることがイノベーションカンパニーになる必須要件である

もう一度行ってみたい場所:Haleakala Maui






朝起きると犬の散歩に行く。今朝は、長い梅雨空とうって変わって日の出がきれだった。それで思い出したのが、マウイ島ハレアカラ火山から見た日の出。

いつ登ってもジャケットが必須との忠告をもらっていたので、厚着して行ったが、予想を越える寒さだった。風も強い。それでも、山頂からの景色はこの世のものとは思えなかった。昔猿の惑星という映画があったが、ここは月面ですといわれても、そうかと思ってしまうほど。

ハレアカラに上る道は、くねくねとした急カーブの連続。その急坂を山頂からマウンテンバイクで走り降りるというスポーツを楽しんでいる団体に遭遇した。何台ものバイクを連ねて駆け下りていく。さぞ爽快だろうという思いよりも、命知らずだなあ、との思いで車を停めてしばし見送った覚えがある。

2007-07-23

もう一度行ってみたい場所:Briermere Farm






緊急投稿です。17年前、ロングアイランドで娘が生まれた時、大変お世話になった方からメールが届きました。

ロングアイランドで一番おいしいパイ屋さん情報。ロングアイランド島東の突端にあるオリエントポイントに行くとき、必ず立ち寄ったBriermere Farm。行列のできるパイ屋さんです。

アップルパイ、ストロベリーパイ、ブルーベリーパイ、ラズベリーパイぐらいまでは想像がつくのですが、ブラックバリーパイ、ピーチパイ、チェリークリームパイ、レモンメリンゲパイ...もう甘さに圧倒されそうとなりますが、ところがどっこい、さわやかな甘さがたまりません。うーん、もう一度食べたい。

写真だけですみませんが、どうぞパイをご堪能ください。ちなみに感謝祭の時にどの店のパイが一番か、ランキングが新聞記事になることも日本ではちょっと考えにくいことかもしれません。

ロングアイランドでお世話になった方は、料理名人。写真の腕もたいしたもので、つくったおいしいお料理をBlogで紹介してくれています。腕前のほどは、どうぞこのBlogをご欄になってご確認ください。

2007-07-22

思い出のCampus:カーネギーメロン大学









MIT在学中、ピッツバーグのカーネギーメロン大学(CMU)留学中の親類家族を訪ねた。

はじめて訪れるピッツバーグの街も、CMUのキャンパスも美しかった。しばらくCMUのキャンパスを歩いてから、ピッツバーグ大学のCathedral of Learningの塔に上った。学びの聖堂には、世界各国の学びの部屋があり、ひとつずつ、その違いに驚いた。塔の中にいるだけで、考えることを自分もつきつめたい、との思いに駆られた。

Carnegie Museum of Natural Historyもすごかった。石のコレクションがこんなにも美しいとは知らなかった。こうして、しばらく自分が学ぶ大学のCampusを離れ、世界は広いことを実感できたことがうれしかった。

この旅でも、おいしいロブスターをみんなで食べた。ボストンからライブロブスターを持参。みんなでわあわあいいながら、料理したロブスターを食べたことが昨日のことのように思い出される。