2007-07-11
ニコラス・ネグロポンテ:BeingDigital
再び、4年前に読んだ本について、当時書き記したことを再掲します。4年前にも静かな朝の時間を大切にしたいと書きましたが、今はその時間がこうしてBlogを書いている時間になっているのかなあ、と思います。次は、これまでに滞在したり訪れた大学のキャンパス風景なども書いてみようと思います。
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著者のニコラス・ネグロポンテはMITメディアラボの所長で、1980年のメディアラボ設立には、当時日本企業もいち早く賛同し、支援もしたと聞いています。
「デジタルであること(ビーイング・デジタル)」の中では、コンピュータ・グラフィックス、ヒトとヒトをつなぐコミュニケーション、双方向マルチメディアといった(今となってはことばが少し古いかなと思われますが)20年前は大変新しい研究分野の裏で、実はどのような思考回路が働いていたかが語られています。
<1980年代のマサチューセッツ工科大学>
写真の著者は経験豊かな研究者然としていますが、メディアラボ設立当時は新進気鋭の若手研究者の一人で、当時MIT学長だったジェローム・ウイズナーから大抜擢され、初代の研究所長に就任しました。ウイズナー学長とネグロポンテ所長はラボ建設資金5000万ドルを集めるため、世界中を駆け巡り、新しい双方向マルチメディアがどんな世界をもたらすかを熱く語り続けました。
当時私は幸運にも会社の留学制度で、MITのマンマシンラボに留学しており、スタート直後のメディアラボのまぶしいほどの輝きに触れたことを覚えています。本の中でネグロポンテ所長が語っているように、80年代のMITには世界中の英知が集まり、学生もそこを訪れる会社トップと親しく面談することができ、時代はIBM360に代表される大型コンピュータからDECのミニコンへ、そしてPCへと大きな転換点を迎えて沸き立っていました。
今振りかえってみると、Microsoft設立が75年、81年にはIBMが最初のIBM PCを世に出し、82年にはTIを飛び出した3人組によってCompaqが設立され、ポータブルPCという新しいジャンルを切り開く。続いて84年にはAppleがAppleⅡから飛躍的に性能を向上させ、はじめてマウスを使ってグラフィックスを操作できるMacintoshを市場投入。84年の秋、MITのキャンパスにアップルのセールス部隊が乗り込んできて、マッキントッシュの画面に手早くナイキシューズのリアルな画像を表示し、流れるようなナイキトレードマークをマウスで拡大してビット毎に手直した姿を今でも思い出します。当時、わたしの研究室では、DECのミニコンに14インチのディスクパックを自分で搭載し、サザランドのベクトルスキャン型グラフィックス端末に画像を描画するFORTRANプログラムをテレタイプからコマンド入力してロードしていました。小さなMacintoshの画面に映し出されたナイキシューズの美しい鮮明な画像は奇跡そのものでした。
<20年後の技術を生み出す研究>
メディアラボの研究は、こうしたパソコン誕生のうねりの中で20年後の今も使われるような技術研究がなされていたといえます。情報の海の中から必要な情報を自分にかわって抽出してくれる情報エージェント、音声・視線・タッチパネル・マウスなど複数のインタフェースを併せ持つコンピュータ。こうした新しいコンセプトは、同じ時期にMITの人工知能ラボにマービン・ミンスキーがいて、言語学の分野ではノーム・チョムスキーが熱弁をふるい、MITの歴史を紐解くと、サイバネティクスのノーバート・ウイナーがいるといった、あらゆる分野の研究の積み重ねが発酵し、相互につながりあって生み出されるものかもしれません。
わたしが所属したマンマシンラボでも、今考えてみればNASAのスペースシャトルから日本人の若狭さんが人工衛星を回収した巨大なロボットアームのプロトタイプ、テレオペレータを20年前に完成させていました。わたしの研究もつたないものでしたが、Linear Programmingを使って工場の生産計画を最適化し、シミュレーション結果をコンピュータ画面にビジュアルに表示することで意思決定をサポートする技術開発でした。現在取り組んでいるi2社のグローバル計画システムと規模と精度が全く異なりますが、20年前の当時からすでに、こうしたことができたらなあという夢としてはきちっと描けていたのかなと思います。
<静かに考える時間>
83年8月から84年12月までの短いMIT留学でしたが、毎日欠かさずやったことがあります。それはチャールズ河に面したStudent Center(学生会館)2階のカフェテリアでコーヒーとドーナツの朝食をとること。夏から秋、冬、そして春へと季節がめぐっていく中で、チャールズ河を眺めながら毎朝15分、静かに考える時間が持てたこと。
今はその時間が通勤電車の中だったりしていますが、朝の15分を大切にしています。静かな朝の時間の中では、10年前も、20年前も、そして昨日のことも縦横につながったり、離れたりして、時間を飛び越え自在な「情報編集」が可能です。そういえば20年前、MITで研究した工場生産計画問題も米国市場の販売と工場生産計画がリンクしてないために発生する棚卸の削減でした。今回解決しようとしている問題も同じです。いよいよ20年かけてやってきたことの集大成の時といえそうです。
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