2008-05-09

グレイハウンド・バスの旅:うれしい知らせ

この5月連休中、昔を思い出して書いたバス旅行についてのBlog記事を読んで、一緒に旅した友人から長いメールを頂きました。

いわく、お前の記憶は間違っている。

以下は、友人からのメールの抜粋です。この友人は昔からクイズ番組(タイムショックはじめ)に超強い人で、あの記憶力はどこからくるのかと、仲間内でも恐れられていた人。今、メールをもらってその記憶力に改めて驚嘆しています。

バンクーバー⇒(カレンちゃんの弟に五目並べで負けた)サンフランシスコ(ニューヨークホテルではありません。アーリントンホテルだったと記憶、5ドルちょっとシャワー無しと7ドルちょっとのシャワー付き)
⇒ヨセミテ(XXX女子大のお二人でした、何もしていません。国立公園内の何でも持ち帰ったら罰金500だったか1500ドルと書いてあった。人間の頭くらいの大きさの松ぼっくり覚えてますか。)
⇒ヨセミテの次はラスベガスではなく、ロスアンゼルスへ(スティルウエルホテル、ツインで12ドルだったか。当時は米国入国にはビザが必要でしたが、いったんメキシコに出てしまうと、もう一度米国に入ることはできないのではという不安があった訳です。)
⇒ラスベガス(ネバダホテル、いくらか忘れたが安かった記憶あり、10ドルくらいではなかったか。大きな一ドル硬貨は記念として今でも持っています。)
⇒グランドキャニオン(ブライトエンジェルロッジ。いい名前です。)
⇒フィニックス(フェニックスと言ったらフィニックスであると直された。ザ・アダムス、2人で30ドル。夜遅くバスがついたので選択の余地なし。当時は高いと思った)
⇒グアダラハラ(ペドロだかパブロだか調子のよいメキシコ人が翌日迎えに来るとかなんとか言ってて来なかった。一緒に行きましょメキシコシティなどと日本語をしゃべっていた。)
⇒メキシコシティ(ホテル・デカルロ、闘牛)
⇒(飛行機の中でAvisa Toursのサラ・ブランコさんという女性とお話をした記憶があります。犬か猫を連れてEverything is education.と言っていたおばさんも居た。何でこんなこと覚えているのだろう。)ヒューストン(確かにNASAのホリディーインに飛行場から米国人の夫婦が連れて行ってくれた、二人で24ドル。そのご夫婦にディズニーランドという単語が通じなかった。何度か言ってやっと、オー、ディズニーランドとディのところにアクセントがあって初めて通じるのだと悟った。)
⇒夜行でニューオリンズへ(901ナインオーワンホテル)
⇒ワシントン(YMCA14ドル。グレーラインの観光バスツアーでしたね)
⇒ニューヨーク(行く前は、ワシントンとニューヨークの距離は東京と横浜くらいと思っていました。確かバスで6時間かかったと記憶します。マンハッタン島一周は3時間でしたが当時は長く感じられました。今3時間は全く苦にならない時間です。エンパイアステートビルには行きましたが、9・11で崩壊したツインタワーにはいきませんでしたね。)
⇒モントリオール(ローレンシャン、僕は散歩、貴兄は映画ジョーズを見た。)
⇒カルガリー(近江ステーキハウス経営者のお宅泊)
⇒バンフ(バンフスプリングス、45ドルが半額か半額になった結果が45ドルだったか。レンタカーを借りて動き回ったのは大正解。ペイトンレークではなくペイトーレークです。)
⇒バンクーバー

出発前に二人でグレーハウンドバスのアメリパスを購入した旅行代理店があった日比谷パークビル(CP Airの事務所もあって中野良子に似たきれいなお姉さんが居た)は最早なく、ペニンシュラホテルになってしまいました。32年近くも経過しています。


いやはや、おっしゃる通りでした。

友人のメールから、ますますあのバス旅行がその後の自分の人生に深く関わっていたと思いなおしました。
一つは、メキシコシティにも行っていたこと。ここもその後仕事で何回か訪問。テキーラの飲み方もここで覚えました。二つは、モントリオールで見た映画『ジョーズ』の撮影場所は、ニューヨークで住んでいたロングアイランドのジョーンズ・ビーチ。住んでいた当時、それこそ毎月撮影現場の海岸に散歩にでかけました。

あの時お世話になった方々、改めまして心から御礼申し上げます。

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