2007-08-15

野中郁次郎 他:失敗の本質



今年も、8月15日を迎えた。毎年この日が近づくと、『失敗の本質』を取り出しては、中身を拾い読みする。今年は加えて、NHK取材班編『太平洋戦争日本の敗因3:電子兵器「カミカゼ」を制す』を読んだ。

日本軍組織の特徴は、『失敗の本質』読後文に6つの特徴をまとめたが、その1つが通信技術を含む幅広い技術開発を怠ったこと。NHK取材班は、マリアナ沖海戦の勝敗を分けた米国レーダー技術開発と実戦配備を進めた経緯と、日本海軍、陸軍のレーダー技術の重要性認識が遅れたこと、認識しても陸海軍別々の取り組みで壁をつくり、少ない技術者の取り合い、分割損で開発実用化が間に合わなかった経緯を取材で追いかけている。

今回、「VT信管」とよばれる高射砲などの砲弾頭部に装填される起爆装置が、ゼロ戦迎撃に威力を発揮したことを知った。従来の起爆装置はいわゆるタイマーで、発射から一定時間で爆発するしかけだが、VT信管を装着したものは、信管から電波を出し、反射波により接近してくる物体を捕捉して近傍で破裂する仕組みとなっている。第二次大戦中にVT信管が2,200万個も製造されたという。

レーダーとVT信管で武装され、新しい迎撃作戦を可能とした米軍により日本軍は、マリアナ沖海戦で壊滅的打撃を受け、サイパン島が玉砕した。その後サイパン島を基点にB29の爆撃が始まることになった。

米軍は1943年12月、連合国統合参謀会議において「日本打倒総合計画」を決定した。日本を打倒するには日本本土への進攻は不必要。むしろ日本を海と空から封鎖し、日本周辺基地を構築し、そこを基点に集中的な空爆を加えることで日本打倒は成し遂げられる、という作戦。この作戦はB29の完成によってはじめて成り立つ。B29は1942年9月に試作1号機がボーイング社で完成したが、試作機完成に先立つこと3年、1939年9月、第二次世界大戦がはじまると米国民間企業4社に大型爆撃機試作機開発を発注。ボーイング社とは2年後の1941年5月、250機を購入する契約を結んでいたという。

一方、日本軍はマリアナ沖海戦で負けた後、防戦一方となり、ゼロ戦による特攻攻撃へと傾斜していく。特攻攻撃を迎え撃つ米軍は、VT信管を装着した高射砲の迎撃精度をさらに高める。各種レーダーによる迎撃体制整備との合わせ技により、2000機以上の特攻機が海上に撃墜されてしまうことになった。

今回、NHK取材班編の『電子機器「カミカゼ」を制す』を読んで、『失敗の本質』に描かれている日本軍の特徴が、より具体的なものとして理解できた。企業の生き残りをかけた戦略、技術開発、イノベーション、組織の活性化....どれも過去の成功体験にしばられて、身動きが取れなくなっている。日本軍の失敗に学ぶ必要がある、と今一度思いをあらたにした。

(以下は、5年前の読後感想)

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企業が環境に適応して生き残るためには何が必要かを今週も考えたい。

これまでに、HDD業界の技術革新、それに対応できた会社、できなかった会社の事例、コンピュータ業界の水平分業化の中で、製造サービスアウトソーシング企業(EMS企業)が新しく生まれ出た事例を見てきた。組織が継続的に環境に適応していく力、すなわち主体的に進化する能力がある組織は「自己革新組織」とも呼ばれる。では、どういう組織は進化能力があり、どういう組織は進化能力がないのだろうか。

『失敗の本質』の中で、6人の戦史や社会科学の研究者は、「ノモンハン」「ミッドウェイ」「ガダルカナル」「インパール」「レイテ」「沖縄」の6つの作戦を分析し、大東亜戦争における日本軍の敗北を決定づけた各作戦での失敗は、組織としての日本軍の失敗である。軍事組織としての米軍の成功と日本軍の失敗とを分かつ重大なポイントとなったのは、不測の事態に遭遇したときに、それに瞬時に有効かつ適切に反応できたかいなかであったと結論づける。

<日本軍組織の特質>
この本の第1章は「失敗の事例」として6つの作戦を詳細に追いかける記述が260頁にわたって続く。その後、第2章「失敗の本質」で、戦略・組織としての日本軍の失敗分析がなされる。

どの作戦事例も読み進むのが辛い。ノモンハンは作戦目的があいまいで、しかも中央と現地のコミュニケーションが有効に機能しなかった。ミッドウェイは海戦のターニングポイントとなった作戦で、不測の事態への対応が遅れた。ガダルカナルは陸戦のターニングポイントで、情報を軽視し、兵力を逐次投入する日本軍に対して、米軍は海兵隊により水陸両用作戦という新しい統合作戦を開発した点が際立っている。インパールはしなくてもよい作戦を敢行した。レイテは精緻な作戦を立案しても、それを理解し、実行し得る能力がないまま作戦を敢行してしまった。沖縄もまた作戦目的があいまいで、米軍の本土上陸を引き延ばすための戦略持久か航空決戦かの間をゆれ動いた。

本書の作戦の記述が正確かどうか、またあまりに組織論的観点にとらわれているといった問題はあるだろう。しかし、6つの事例を通して読み進めると、日本軍組織の問題点が見えてくる。
1)戦略オプションが狭い、コンティンジェンシープランがない
2)水陸両用作成といった新しい戦い方のコンセプトを作れない
3)通信技術、兵站、被弾修復技術など幅広い技術開発を怠った
4)戦略統合ができる組織構造をつくらず俗人的なつながり重視
5)同質な人が集まる蛸壺組織で、異質なものを受け入れない
6)失敗に学ぶという謙虚な学習する組織・文化がない

<組織が環境に適応していくためには>
適応力のある組織は、環境を利用してたえず組織内に、変異、緊張、危機感を発生させている。

「日本軍は、逆説的ではあるが、きわめて安定的な組織だったのではなかろうか。陸海軍人は思索せず、読書せず、上級者となるに従って反駁する人もなく、批判を受ける機会もなく、式場の御神体となり、権威の偶像となって温室の中に保護された」
「およそイノベーション(革新)とは、異質なヒト、情報、偶然を取り込むところに始まる。官僚制とは、あらゆる異端・偶然の要素を徹底的に排除した組織構造である。日本軍は異端者を嫌った。(中略)およそ日本軍の組織は、組織内の構成要素間の交流や異質な情報・知識の混入が少ない組織でもあった」
「太平洋諸島における作戦の最大のカギといわれた水陸両用作戦のノウハウは、海兵隊がガダルカナルから沖縄に至る18回の上陸作戦を経て確立されたものである。(中略)海兵隊は、このような水陸両用作戦のドクトリンを海兵隊学校を中心に開発した。これに対して、日本軍の教育機関においては、航空戦術、砲戦術、水雷戦術、潜水艦戦術等に分かれていて、それぞれの部門の研究をしたがそれを総合しての作戦研究というものはほとんどなかった。(中略)さらに、戦略思考は日々のオープンな議論や体験のなかで蓄積されるものである。海兵隊は、水陸両用作戦のドクトリンを開発したときには、海兵隊学校の授業をストップし、教官と学生が一体となって自由討議のなかから積み上げていった。このような戦略・戦術マインドの日常化を通じて初めて戦略性が身につくのである」

この本は読み通すのが大変辛い本の一つだが、毎年本箱から取り出しては読み返している。本棚におさまっている本の背表紙を毎日見ているだけでも、存在感がある。タイトルの『失敗の本質』ということばがこちらに圧倒的な圧力となって押し寄せてくる。結びのことばがまた多くのことを示唆していると思う。
「それでは、なぜ日本軍は、組織としての環境適応に失敗したのか。逆説的ではあるが、その原因の一つは、過去の成功への『過剰適応』があげられる。過剰適応は、適応能力を締め出すのである(中略)自己革新組織の本質は、自己と世界に関する新たな認識枠組みを作り出すこと、すなわち概念の創造にある。しかしながら、新たな概念を創り出すことは、われわれの最も苦手とするところであった」

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