白楽の木造アパートを出て、私たちは京浜富岡の公団住宅へ移った。抽選には何度も外れ、十回目でようやく当たった二DLKだった。白楽の部屋二つ分ある広いリビング、新築の匂い、陽の入る窓。若い私たちには夢のような住まいだった。
京浜富岡駅から団地までは歩いて二十分。埋立地の風は強く、冬には頬が痛むほど冷たかった。それでも団地の灯が見えると安心した。
磯子区の新杉田駅からは、新都市交通システムと呼ばれるモノレールのような列車が、海沿いを走って金沢八景まで伸びていた。途中には八景島があり、車窓から見える景色はまさに「新都市」だった。
夜になると、海沿いのプラント群が無数の灯をともす。灯台の光、道路を流れる車列のライト、そのあいだを列車が静かに疾走してゆく。
南部市場を過ぎるころ、若い緑が急に視界へ入ってくる。まだ細い木々が海風に揺れていた。その先には、高い公団住宅群が並び立つ。倉庫群と住宅群が軌道を挟んで交互に現れる景色は、不思議な未来都市のようだった。
団地には同じように若い家族たちが暮らし始めていた。ベランダには布団が並び、広場には子どもの声が響いた。給湯器の音や新しい家具の匂いまでが、「これから始まる生活」を語っていた気がする。
休日に両親を招いて夕食を囲んだ。広くなった居間で食卓を囲めることが、どこか誇らしかった。夜更けになると、突然どこからともなく暴走族の車列が現れる。埋立地の広い道路に爆音が反響し、一斉に吹かされるエンジン音が夜空を震わせた。最上階のベランダへ出ると、家族みんなでその光景を眺めた。車列の最後尾には、赤色灯を点滅させたパトカーが静かについてきていた。
いま八景島は水族館を訪れる親子連れで賑わい、細かった木々は太い幹となって団地を覆っている。倉庫群の跡地にはアウトレットモールが建った。それでも夕暮れどき、車窓に灯台の光が見えると、あの新都市へ向かっていた若い日の風景が、今も静かによみがえる。
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ここでの生活は快適で楽しかった。そんな中、いつか米国で勉強をしてみたいとの思いがいよいよ募り、ここからボストンへ二人そろって移り住み、1年半の米国留学生活を再びはじめる幸運に恵まれた。
横浜うた紀行は、ここからはボストンうた紀行に引き継ぐことになります。
このブログをご覧いただいているみなさん、ボストンうた紀行も、引き続きお楽しみに!
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