横浜を離れ、私たちは今度は海を渡った。
白楽から京浜富岡へ移ったときも、新しい生活へ踏み出す思いだったが、ボストン行きはそれとはまた違っていた。自費での引っ越しだった。家族を連れての渡米である。当時は一ドル二百四十円ほどの時代。荷物もできるだけ減らし、三度目の新生活を始めようとしていた。
まだ海外旅行が今ほど身近ではなかった頃だ。ボストンへの直行便はなく、ニューヨーク経由で向かった。成田から長い時間をかけてJFK空港へ着き、さらにボストン行きのシャトル便を待つ。三時間ほどの待ち時間だったと思うが、退屈することはなかった。
空港にいるだけで、すべてが目新しかったのである。
聞こえてくる英語、巨大な案内表示、人々の歩く速さ、コーヒーの匂い、見たこともない広さの空港。疲れているはずなのに、眼だけは冴えていた。
ようやく小さなシャトル機がボストン・ローガン空港へ着陸した頃には、成田を発ってから二十時間近くが過ぎていた。
空港からは、郊外のレキシントンに予約していたモーテルへ向かった。だが、どのくらい離れているのかもよく分からない。まだGoogle Mapなどない時代である。頼りは紙の地図だけだった。
空港で捕まえたタクシーに乗り込むと、途中から相乗り客が入ってきた。運転手は、その客をまずボストン北部の街まで送り届け、それからレキシントンへ向かうと言う。
結果として、それはボストン近郊をぐるりと巡る小さな旅になった。
車は三車線のハイウェイを疾走し、車窓から古いレンガの家、深い森、大きな湖が見えた。相乗りの客は気さくな人で、「レキシントンは独立戦争の古戦場だ」とか、「冬になると雪が深い」とか、ボストンの歴史を話してくれた。
そして別れ際、「困ったことがあったら電話しなさい」と、自宅の電話番号を書いた紙を渡してくれた。
いま思えば、あれはまだ、古き良きアメリカが残っていた時代だったのかもしれない。知らない土地へ着いたばかりの私たちは、その親切にどれほど救われたことだろう。
JFK巨大案内板見上げつつ疲れし眼のみ冴えてゐたり
成田発つ二十時間の旅果ててボストンの夜の風に立ちたり
紙地図を膝に広げてタクシーの行先告ぐる声まだ硬し
三車線ハイウェイ夜を走りゆく湖黒く森深かりき
「困ったら電話しなさい」紙片受く知らぬ国にも灯のあるごと
古きよきアメリカありし時代なり紙片の文字のいまも温かし
白楽の坂を離れて海渡り三度目の暮らし始まる
一ドルが二百四十円の時代夢にも重さありしと思ふ
モーテルの鍵受け取りし夕闇に時差の深さが脚に残れり
