2026-06-04

今日の絵:黒船来航

2015年から2016年頃のことです。

日本からでもMIT(マサチューセッツ工科大学)のオンライン講義を受講できる環境が整い始め、私はedXで「Black Ships & Samurai」というコースを受講しました。

当時の私にとって、MITの授業を横浜の自宅にいながら受けられること自体が驚きでした。しかも受講料は無料です。

コースの内容

この講義は、MITの歴史学者ジョン・ダワー教授(John W. Dower)と宮川繁教授(Shigeru Miyagawa)が中心となって進めていた「Visualizing Cultures(文化を視覚化する)」プロジェクトの一部でした。 

テーマは1853年のペリー来航です。

ただし単なる日本史の講義ではありません。

このコースの特徴は、

アメリカ人はペリー来航をどう見たのか

日本人は黒船をどう見たのか

浮世絵や絵巻、版画、挿絵などの視覚資料に何が描かれているのか

そこから当時の人々の価値観をどう読み解くのか

を学ぶ点にありました。 


私はそれまで歴史を文章で学ぶものだと思っていましたが、この講義では「絵を読むことによって歴史を理解する」という新しい視点を知りました。

たとえばアメリカ側の絵では黒船艦隊が雄大で勇壮に描かれています。一方、日本側の浮世絵では煙を吐く巨大な怪物のような船として描かれることもありました。 

同じ出来事でも、見る側によって全く違う世界が現れるのです。

当時感じたこと

講義そのものも素晴らしかったのですが、私がより強く印象に残ったのは別のことでした。

「これは世界を変えるのではないか」

という感覚です。


インターネットと最低限のパソコン環境さえあれば、

日本でも

インドでも

中国でも

アフリカでも

同じMITの講義を受けられるのです。

人口の多い国々の意欲ある若者が、地理的・経済的な制約を超えて学べるようになれば、その国の競争力を大きく変えるだろうと思いました。


そして十年後の今、その流れはさらに加速しています。

AIによる自動翻訳によって英語の壁は低くなり、字幕や教材も各国語で読めるようになりました。

当時私が感じた未来は、想像以上の速度で現実になりつつあるように思います。これぞ、黒船か。

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今でも受講できます

edX版は終了していますが、MITの「Visualizing Cultures」サイトは現在も公開されており、当時の教材を読むことができます。 

Black Ships & Samurai

MIT Visualizing Cultures: Black Ships & Samurai

ペリー来航と開国を、日本側とアメリカ側双方の視点から学ぶことができます。1853年7月8日、黒煙を上げる外国軍艦が日本に現れた場面から講義は始まります。 


当時描いた黒船のスケッチ

講義を受けながら、息抜きにパソコンツールでペリー来航の黒船を描いてみました。

絵の技術は今も昔も大差ありませんが、オンライン教育の新しい時代が始まる予感に胸を躍らせながら描いた一枚です。

どうぞご覧ください。 




2026-06-03

今日の絵:コーモセット州立公園

ロングアイランドに住んでいた三年間、子どもをストローラーに乗せてよくコーモセット州立公園を歩きました。

この公園はもともと百貨店王マーシャル・フィールド三世の広大な私有地でしたが、一九六一年にニューヨーク州が買い取り州立公園となったとのこと。東京ドーム百四十個分を超える広さを持ち、いまでは年間百万人近い人々が訪れるそうです。

しかし私の記憶に残っているのは、海へ続く道の途中に立つ一本の大きな樫の木です。




ストローラー押しゆきし道の冬木立

あの樫の木はいまも空指す 



以前にこのブログでも、わたしのもう一度行ってみたい場所として記事を書きました。懐かしい場所の一つです。もう一度行けたらなあと思い出しています。

ブログ記事はこちら


2026-06-01

今日の絵:安野光雅の世界

10年ぐらい前から、パソコンで絵を描くことに挑戦しています。

このブログでも以前ご紹介したかもしれませんが、最近では絵を描くためのパソコンソフトやタブレットもだいぶ進化しました。

今は、ソフトはAffinityを使っています。当初、有料版を購入して使い始めたのですが、最近Affinityの会社(Serif社)がCanva社に買収されて、ビジネスモデルを変え無料でソフト提供をはじめました。

無償版といっても、有償版と全く同じ機能を持ち、それどろか有償版当時は、3つのソフトにわかれていた機能を1つに統合して使いやすくもなっています。

ツールの話はさておいて、安野光雅さんの話。子どもの絵本としていただいたり、買い足したりで、いつのまにか10冊ほど手元にあります。

絵の勉強のため、安野さんの絵を模写したりして練習しました。今日は、安野さんが海外へでかけて写生しているところと、旅の絵本からの1枚、わたしのスケッチ(パソコンで描いた)をご覧いただきます。


















以前、このブログに書いたとばかり思っていましたが、間違いでした。知人へ送った手紙に書いていたことを思い出しました。以下、その時書いたメッセージを再録させていただきます。

----------------------------再録メッセージ(2021年1月当時の)ーーーーーーーーーーーーー

今年に入って、安野光雅が年末に世を去ったという悲しい知らせが届きました。94歳とのこと。

家族にとって『旅の絵本』は、子どもの成長とともにページを何度も何度もめくってきた大切な本。訃報を聞いて、書棚から旅の絵本シリーズをどっさり取り出して改めてみんなで眺めました。描かれている不思議な世界は、今見直しても新しい発見があります。

ことにアメリカの旅では、家族がよく知っている風景がたくさん出てきます。ニューヨークのセントラルパークの木々には、セントラルパーク・ズーの動物たちが葉っぱの中にたくさん描かれていました。ハワイとアラスカが一枚の絵の中に登場したり、旅の絵本の中は、きっと安野さんが旅した時の思い出が、時間と空間を超えて一つのイメージとして物語になっているに違いありません。

ロンドンにあるJAPAN HOUSEという日本文化を紹介する施設では、ANNO's Journeyというオンライン常設展示が安野光雅の世界を丁寧に紹介していることを、この度はじめて知りました。世界の人びとにとっても、ANNO's Journeyは別の角度から観た自分の国を教えてくれる貴重な窓になっているのかもしれません。

家の本棚から取り出した旅の絵本シリーズは、祖母が孫に買ってくれた大切な絵本ですが、観てみるとスペイン編には、安野光雅の署名がありました。何でも、横浜で展覧会が開催された折り、祖母が行列して署名をもらってきてくれたことがわかりました。不思議な絵本の世界を贈ってくれた今は亡き人たちに感謝します。

わたしも安野光雅の絵本に魅了されて、ここ数日描く絵はすっかり安野先生風になっています。Boston Faneuil Hallも安野さんが描くとこんな感じではと、勝手に思っています。













2026-05-31

第三十九歌集 三まはり目

先日、家族で誕生日を祝ったときのこと。

わたしは得意の料理に腕を振るおうと意気込んで、何にするときいたら、ケンタッキーと即座に応えあり。こんな感じで、思いをぶつけあえる家族って、いいねと感じた次第です。

記念日の卓を歌集にしてみました。










三まはり目の誕生日祝ふことばはとにかく幸せと当たり前の日々

誕生日一つずつ歳重ね祝ふ日に我が仔の干支の一回り前を見る

よく生きたいと親にみせたい日々送り自分がどんどん見えなくなる

好きな曲を鍵盤にぶっつけてふとわれを取り戻すこれでいいかも

わが庭に双葉萌え出る初夏の風わが仔と祝ふ記念日の卓

何食べる祝いの皿を問へばまたケンタッキーといふ笑みこぼれたり

朝顔の種を託さむとしてあれこれと語れば「世話はできないよ」と目を伏せ

祝い歌唄ふ声して友来たりプレゼント手にあゝ佳き日なり


2026-05-27

第三十八歌集 双葉にょきにょき

長年の友からの便りに、朝顔の種が同封されていた。

なんだろうと思ってみると、育て方を書いたメモも同封されていた。種まきの前の晩の世話から、植え方、育て方まで、まるでNHK趣味の園芸のテキスト。うれしかった。

そういえば治療がはじまってから、家の庭にでることもなかった。窓越しに庭の木をみる、葉が茂りだす、春だなあと感じることはあっても、ついぞ庭に出ることもなかった。

それが朝顔の種をまいたその日から、毎朝の水やりが楽しみになった。心遣いに感謝。










朝顔の鉢もて帰る夏休み蔓の影われを越えたり

われに寄り添ふ友より届く朝顔の種封書に入れて育て方添ふ

朝顔の種蒔きて毎朝のぞきゐしプランターより双葉にょきにょき

朝顔の種夜半に含みし甘水に揚力得たり双葉ひらきぬ

蔓巻く支柱を買はむどこまでとはかりかねつつ背丈ほど選ぶ

朝顔の花開くころ家族して色を語らふ日を思ひをり

朝顔のしぼみし花を掌に残る種はたれぞ植ゑなん


2026-05-23

第三十七歌集 待つ間の長し

昨日は、毎月の大学病院通い。朝8時から午後3時まで、長い長い時間を過ごす。

しかし、今回は待つ間もまわりの景色を観察し、ことばを選んで歌をつくって過ごしたら、長い時間も苦にならなかった。病院の待ち時間が多い今日この頃、これはいいやと思った次第です。










病院で会うゆるゆる歩む二人連れ添ひきし時の今あり

杖、車椅子、子の手を取り歩みゆくどの人もみな前を向きつ

ゆくも来るもゆっくりゆっくり歩みつつ 明日のわれを見るごとし

回重ね検査手順は慣れしもの結果待つ間の長し

診察室出づる顔みな遠く見て医師とのことば耳に残せり

四回目の点滴治療の針チクリ看護師の指先やさし

ぐーぱーと手を開閉し確かむる痺れる腕に薬液がゆく

生理食塩水最後一滴流れ込みあとは薬と病との時間

この治療を終へてのちには体とがんの対決となり次回検査待つ



2026-05-21

ボストンうた紀行 ケンブリッジ

ボストンダウンタウンのチャールズリバー対岸がケンブリッジだった。

川を渡れば、これから一年半学ぶことになるマサチューセッツ工科大学がある。マサチューセッツアベニューを北へ進めばハーバード大学、さらに先には滞在しているレキシントンがある。だが、ボストンへ来たばかりの私たちには、そんな地理もまだ頭に入っていなかった。

まず向かったのはMITの機械工学科教務室だった。バスを乗り継ぎ、地図を広げ、人に道を聞きながら巨大なキャンパスを歩き回る。建物番号の意味も分からない。ようやく教務室へたどり着いたときには、半日が過ぎていた。

入学手続きを終えると、次は家探しだった。

大学にはハウジングオフィスがあり、学生向けアパートや寮の情報が地域別のキングファイルに整理されていた。しかし、それはすべて紙だった。気に入った物件を探し、自分で大家に電話し、自分で交渉する。地理も英語も不慣れな私たちには、とても無理に思えた。

広さはスクエアフィート、部屋数はベッドルーム数、家賃はドル表示。言葉だけでなく、生活の尺度そのものが違っていたのである。

そこで、不動産屋を紹介してもらうことにした。これが大正解だった。

そこから、不動産屋の車で物件を見て回る「ボストンツアー」が始まった。広い庭付き住宅へ案内されても、私たちには大きすぎた。芝生の手入れだけで大変そうだった。掃除も追いつきそうにない。困っていることを必死に説明すると、不動産屋もようやく納得した顔になった。

そして連れて行ってくれたのが、アーリントンセンター近くの室内車庫付きワンベッドルームのアパートだった。

庭はないが、横浜の公団住宅ほどの広さがあり、私たちには十分だった。喜んで感謝を伝えると、不動産屋は少し呆れたような顔をしながらも、無事契約まで進めてくれた。大家も親切な人で、安心してモーテルまで送り届けてもらった。

その後も、家具探し、車探し、大学のオープンキャンパスと慌ただしい日々が続き、気がつけば八月は終わっていた。







チャールズの川を渡ればMIT異国の学びの門ひらかれぬ

マスアベ北へ伸びゆく道の果てハーバード越えてレキシントンへ

建物の番号ばかりのキャンパスに教務室まで半日歩めり

機械科の扉たたけば異国語の波に押されて汗のみ滲む

ハウジングオフィスの棚に並びたるキングファイルの厚みに驚く

紙だけの住宅情報繰りつつ電話番号を見ても途方に

スクエアフィートと言はれ頷けど広さの感覚まだ身につかず

芝生広き家を見上げて黙り込む刈るだけで日の暮れさうにして

庭はなくワンベッドルームなれどなお横浜ほどの広さありたり

大家さん穏やかに笑み鍵渡す異国にひとつ灯ともるごと

知らぬ国知らぬ暮らしの始まりにチャールズ川の風のみ確か