2026-05-18

ボストンうた紀行 レキシントン

横浜を離れ、私たちは今度は海を渡った。

白楽から京浜富岡へ移ったときも、新しい生活へ踏み出す思いだったが、ボストン行きはそれとはまた違っていた。自費での引っ越しだった。家族を連れての渡米である。当時は一ドル二百四十円ほどの時代。荷物もできるだけ減らし、三度目の新生活を始めようとしていた。

まだ海外旅行が今ほど身近ではなかった頃だ。ボストンへの直行便はなく、ニューヨーク経由で向かった。成田から長い時間をかけてJFK空港へ着き、さらにボストン行きのシャトル便を待つ。三時間ほどの待ち時間だったと思うが、退屈することはなかった。

空港にいるだけで、すべてが目新しかったのである。

聞こえてくる英語、巨大な案内表示、人々の歩く速さ、コーヒーの匂い、見たこともない広さの空港。疲れているはずなのに、眼だけは冴えていた。

ようやく小さなシャトル機がボストン・ローガン空港へ着陸した頃には、成田を発ってから二十時間近くが過ぎていた。

空港からは、郊外のレキシントンに予約していたモーテルへ向かった。だが、どのくらい離れているのかもよく分からない。まだGoogle Mapなどない時代である。頼りは紙の地図だけだった。

空港で捕まえたタクシーに乗り込むと、途中から相乗り客が入ってきた。運転手は、その客をまずボストン北部の街まで送り届け、それからレキシントンへ向かうと言う。

結果として、それはボストン近郊をぐるりと巡る小さな旅になった。

車は三車線のハイウェイを疾走し、車窓から古いレンガの家、深い森、大きな湖が見えた。相乗りの客は気さくな人で、「レキシントンは独立戦争の古戦場だ」とか、「冬になると雪が深い」とか、ボストンの歴史を話してくれた。

そして別れ際、「困ったことがあったら電話しなさい」と、自宅の電話番号を書いた紙を渡してくれた。

いま思えば、あれはまだ、古き良きアメリカが残っていた時代だったのかもしれない。知らない土地へ着いたばかりの私たちは、その親切にどれほど救われたことだろう。














JFK巨大案内板見上げつつ疲れし眼のみ冴えてゐたり

成田発つ二十時間の旅果ててボストンの夜の風に立ちたり

紙地図を膝に広げてタクシーの行先告ぐる声まだ硬し

三車線ハイウェイ夜を走りゆく湖黒く森深かりき

「困ったら電話しなさい」紙片受く知らぬ国にも灯のあるごと

古きよきアメリカありし時代なり紙片の文字のいまも温かし

白楽の坂を離れて海渡り三度目の暮らし始まる

一ドルが二百四十円の時代夢にも重さありしと思ふ

モーテルの鍵受け取りし夕闇に時差の深さが脚に残れり



2026-05-17

横浜うた紀行 新杉田・京浜富岡

白楽の木造アパートを出て、私たちは京浜富岡の公団住宅へ移った。抽選には何度も外れ、十回目でようやく当たった二DLKだった。白楽の部屋二つ分ある広いリビング、新築の匂い、陽の入る窓。若い私たちには夢のような住まいだった。

京浜富岡駅から団地までは歩いて二十分。埋立地の風は強く、冬には頬が痛むほど冷たかった。それでも団地の灯が見えると安心した。

磯子区の新杉田駅からは、新都市交通システムと呼ばれるモノレールのような列車が、海沿いを走って金沢八景まで伸びていた。途中には八景島があり、車窓から見える景色はまさに「新都市」だった。

夜になると、海沿いのプラント群が無数の灯をともす。灯台の光、道路を流れる車列のライト、そのあいだを列車が静かに疾走してゆく。

南部市場を過ぎるころ、若い緑が急に視界へ入ってくる。まだ細い木々が海風に揺れていた。その先には、高い公団住宅群が並び立つ。倉庫群と住宅群が軌道を挟んで交互に現れる景色は、不思議な未来都市のようだった。

団地には同じように若い家族たちが暮らし始めていた。ベランダには布団が並び、広場には子どもの声が響いた。給湯器の音や新しい家具の匂いまでが、「これから始まる生活」を語っていた気がする。

休日に両親を招いて夕食を囲んだ。広くなった居間で食卓を囲めることが、どこか誇らしかった。夜更けになると、突然どこからともなく暴走族の車列が現れる。埋立地の広い道路に爆音が反響し、一斉に吹かされるエンジン音が夜空を震わせた。最上階のベランダへ出ると、家族みんなでその光景を眺めた。車列の最後尾には、赤色灯を点滅させたパトカーが静かについてきていた。

いま八景島は水族館を訪れる親子連れで賑わい、細かった木々は太い幹となって団地を覆っている。倉庫群の跡地にはアウトレットモールが建った。それでも夕暮れどき、車窓に灯台の光が見えると、あの新都市へ向かっていた若い日の風景が、今も静かによみがえる。

-------------------------------------------

ここでの生活は快適で楽しかった。そんな中、いつか米国で勉強をしてみたいとの思いがいよいよ募り、ここからボストンへ二人そろって移り住み、1年半の米国留学生活を再びはじめる幸運に恵まれた。

横浜うた紀行は、ここからはボストンうた紀行に引き継ぐことになります。

このブログをご覧いただいているみなさん、ボストンうた紀行も、引き続きお楽しみに!















十度目の抽選番号見つけたり若きわれらの声しばし無し

白楽の部屋ほどもある居間に立ち未来といふ語初めて思へり

団地棟並び立つ間を風抜けて若木いまだ細く揺れをり

磯子駅モノレール待つ高架下未来都市めく灯の流れゆく

休日に両親招き卓囲む広き居間こそ誇らしかりき

ベランダに皆して立てば夜の海エンジン音の空に反射す

公団の白き壁面夕焼けを受けて港の色へ染まりぬ

高層の団地の窓に灯ともりどの部屋にも若き家族ゐる


2026-05-16

横浜うた紀行 白楽・六角橋

結婚を控え、東京の親元を離れて白楽に小さなアパートを借りたのは、もう五十年も前のことである。

白楽は坂の町だった。崖の上まで家々が肩を寄せ合うように建ち、夕方になると、それぞれの窓に明かりがともった。仕事を終えて東横線で白楽駅に降り立つと、六角橋商店街を抜け、坂道を二十分ほど歩いて帰った。

商店街には、乾物屋、煎餅屋、和菓子屋、蕎麦屋、豆腐屋――昔ながらの小さな店が並んでいた。店先には季節ごとの匂いが漂っていた。昆布や鰹節の乾いた香り、醤油煎餅の焼ける匂い、蕎麦つゆの湯気。夕方になると買い物籠を提げた人々が行き交い、狭い道には子どもたちの声が響いていた。

コロッケを買う日もあれば、白菜を抱えて坂を上る日もあった。紙袋の豆腐を崩さぬよう気をつけながら歩いた夕暮れも思い出す。若かった私たちは、まだ「暮らし」というものの形を知らず、湯気の立つ味噌汁や小さな鍋を囲みながら、明日のことを話していた。

いま振り返れば、あの頃の白楽には、まだ戦後の町、昭和の匂いが残っていたように思う。店々は小さく、人と人との距離も近かった。商店街を歩けば誰かの声が聞こえ、夕方にはどこかの家の夕餉の匂いが流れてきた。

五十年が過ぎた今も、白楽の坂道は脚の記憶に残っている。買い物袋の重さも、夏のプールの歓声も、六角橋商店街の灯りも、教会の十字架も、歳月の奥で静かに暮れ残っているのである。










白楽の坂の八百屋に灯のともり大根の葉に雨まだ匂ふ

夕焼けの六角橋まで歩きつつふたりの暮らしをまだ名づけ得ず

閉店のシャッター降りる音のあと白楽駅へ夜風流るる

六角橋子らの声より夕立来るプールの水面に風先に立つ

蕎麦屋より出前の岡持揺れてゆき子ら鬼ごっこの輪をすり抜ける

商店街抜けて坂ゆく夕暮れに屋根の十字架先に見え来る

五十年過ぎても先に浮かぶもの白楽の坂と教会の屋根


2026-05-13

NHK 俳句に学ぶ

きょうは、NHK ONEからNHK俳句を覗いてみて学んだこと。

今週の選者、星野高士さんは高浜虚子のお孫さんとのことで、毎回高浜虚子の話がとても興味深い。今回は、虚子が当時俳句といえば男子の文芸だった世界に女子をどうやって招き入れるか、台所俳句というセクションを「ホトトギス」に設けて、女性の俳句人口を増やした話でした。

なるほど、こうして台所をテーマにすればわたしでもと思った女性がたくさんでてきたことは想像に難くない。

これを観て、わたしは短歌でも台所短歌なるものがあってもよいのではと考えた。台所に立つ男子を思い描いて詠った歌集を作成しました。第三十六歌集「食卓ひらく」をお届けします。













舟盛りを
取り分けてゐる
箸の先
つまほぐれゆく
春の海見ゆ

serving sashimi
with the tips of chopsticks—
slowly loosening apart
the spring sea
appears between us

餅粉入りの
餃子を囲む
箸すすみ
焼けるそばから
皿は空なり

around the table
rice-flour dumplings disappear
as soon as they are cooked—
plate after plate
left empty

皿に残る
焼き鳥ふた串
翌日は
親子の
好物丼となりぬ

two skewers
of leftover yakitori—
by the next day
transformed into
a favorite rice bowl

フォーの味
まだ遠くあり
ソーメンの
湯気に貝柱
かすかに香る

pho still feels
slightly out of reach—
from the steaming somen
a faint scent
of scallops rises

鶏もも肉
どんと叩いて
米の上
炊飯器より
異国の香立つ

pounding chicken thighs
onto the rice—
from the rice cooker
the fragrance
of another country rises

クーとパ
二つの音を
思ひ出す
韓国の友と
食みしスープ飯

“guk” and “bap” —
two remembered sounds
returning softly
with a Korean friend
sharing soup and rice

牛ヒレを
ミディアムレアに
焼くつもり
裏返す間に
もうウェルダン

intending
medium rare—
by the time I turn it over
the beef fillet
is already well done

家族囲む
食後の汁粉
湯気淡し
空きし茶碗の
残り香を嗅ぐ

after dessert
with the family gathered—
the sweet soup’s steam fades
from an empty bowl
I breathe in the lingering scent


2026-05-12

NHK 病院ラジオ

 昨日、NHK ONEのサービスを毎朝観ていることを書きましたが、先日の「病院ラジオ」:千葉県にある救急救命センターの番組は、身につまされる内容でした。

年間1万件以上の受け入れというから、毎日30台以上の急患がお世話になっている勘定。

治療のおかげで命を長らえることができた患者さんだけでなく、救えなかった命も多いのでしょう。番組に登場する方は、運よく命を長らえた人だからこそ、ことばに力がある。

TVの中で、ローカルラジオ番組を聴く入院中の患者さんや、医療従事者の方々の姿も画面に映し出される。不思議とラジオに聴き入っている、映像付きのラジオ番組という新しいメディアのように感じる。

きっと話手とインタビューする司会者の距離が近くて、決まったセリフを追う会話ではなくて、自然なおしゃべり、声のトーンがラジオに近いからか。会話している人だけでなく、その会話をラジオを通して聴きいっている人の映像やちょっとした声が、いい。

この番組を観てつくった歌集が、第三十五歌集 耳をすませば。

海外からこのブログをご覧いただいている方もいらっしゃるようなので、今回は英語短歌も添えてお届けします。









第三十五歌集 耳をすませば(Listening Closely)

In hospital rooms at night,

people sometimes discover

they are not alone.


These tanka are about listening—

to voices, silence, music,

and the small lights returning to human eyes.


生きのびて

語る言葉に

耳澄ませ

われだけでない

夜がそこにある


surviving—

I listen closely

to spoken words

realizing

the night is shared


「自分だけ」

ではなかったと

ラジオ聴く

その沈黙に

灯ともりゆく


“only me,”

I once believed—

listening to the radio

even the silence

slowly fills with light


ラジオ聴き

「ああ同じ」と

洩らしつつ

手を開閉す

目に力あり


listening to the radio

“ah, the same…”

he whispers

opening and closing his hands

strength returning to his eyes


クイーンを

リクエストする

まなざしに

声なき喉の

光宿れり


requesting Queen

his eyes brighten—

in the voiceless throat

a small light

begins to live


「笑ひ声

好きな人です」

そのときに

ふいに誰かが

目を伏せてゐる


“I love

people who laugh,”

someone says—

and suddenly

another lowers their eyes


収録を

終へた司会者

小さく言ふ

「家族に会ひたい」

夜の帰り道


after recording

the host quietly says,

“I want to see my family”

on the long road home

through the night


2026-05-11

第七歌集 画面の向こう

3月のWBC準決勝はマイアミでしたが、その頃東京の花はまだ開くかどうか毎日ニュースになっていました。

治療中のわたしは、NHK ONEのサービスにはまっていて、朝4時に起きると海外のいったことのない街を走る車路面電車の車窓からの景色や、クラシックTVや、72時間のドキュメントなど、片っ端から見続けています。

わたしにとってTV画面は、壁にあいた窓のようで、新しい人との出会いや、情報はその窓から差し込む光のようなもの。

家に居ながらにして、マイアミのWBCの試合を熱く応援しました。マイアミの球場には行ったことがありませんが、ホットドッグやポップコーンの香りがするようで、マイアミでその昔食べたシーフードやワインの香りを思い出しました。

マイアミは青空で、春のさなかでしたが、東京は冷たい雨が花の蕾を固くして、春が少し遠のいた感がありました。花寒が過ぎて、花開いたときのうれしさなど詠ったものが第七歌集となります。
















河の流れを辿る船旅映像に病床離れてわれも旅する

一日中テレビしか見ぬわれなれどこんな人もと世の色豊か

画面映るボールパークの興奮にポップコーンの香りよみがえる

フロリダのザリガニ料理思い出すガーリックバタージャパン勝負飯

風ぬるむ薄紅の雲切れ間より幼子こぐを見守る老婆

花の雨ふくらむ蕾とぢながら春を待つなりわれも待つなり

蕾ふくらむ音風に乗り枝越えて向こうの気配花ひらき来る

花かすみ進む春見えひとときに心はずみて足も軽しも

十三打数無安打胸にひめながら打席に立てば首位打者忘る

打ち損じバットの軌跡思い巡るいまは白球止まって見ゆる

白球見送るミットの音して最後の打者ボールパークに沈黙おりる

テレビより出会う人あり調べれば遠き人生わが道に触る

いちごパック買う人ありて手に取りて下よりのぞく傷みあるかと

この道はひとすじに登る道といふ校歌いま聞けばわが身に沁みる

ゆるゆると歩むわが日を春とせり桜の蕾もゆるゆるほどく

灯が次々消えてわれもテレビ消すさきほどまでの世界遠のく



2026-05-09

第六歌集 香港 飲茶と屋台

3月から身の回りの小さなしあわせ探しをはじめたが、依然食べることは元通りとはいかず、何を食べても味が変で食が進まない。

そんなときでも、昔食べたものの味は記憶にあって、しきりと思い出す。

第六歌集 香港 飲茶と屋台は、その昔香港に何回か出張したときの昼餉の記憶。

テーブルを回るワゴンにのった一皿は、どれも食欲をそそる香りを漂わせ、ついついどのワゴンも目で追ってしまう。

一皿取るごとにカードに赤のスタンプが増えていく。大根餅などはスタンプ一つ、手の込んだ料理皿はスタンプが三つ。スタンプの数で会計するしくみ。当時は実にアナログだったが、シンプルでわかりやすかった。
















香港の昼の路地立てばそのとたん湯気と香りの食の街かな

体育館と思う広さの屋根の下ワゴン巡りて飲茶の香立つ

ワゴン前「あれ何だっけ」と指さして昔の味の小籠包かな

次々と皿平らげてふと見れば会計カードに赤き印の列

腹くちく揚げまんじゅうがもたれつつあれも食べたし悔いの残れり

切り叩き炒める煮るの音つづき屋台の前に人の群れなす

切り取られ白きかたまり鍋に飛び茹であがりゆく麺の椀かな

香り音色かたち見て一皿を目でかぎ味わい汁も残さず

見慣れぬ柄長きスプーンあやつりて隣の夫婦飯汁すすむ

人だかる屋台の椀を吾も取り「うん、うん」と言えば幾重の旨み

椀おきて屋台を去れば昼路地に吾の待ちたる列なお続く