2026-05-27

第三十八歌集 双葉にょきにょき

長年の友からの便りに、朝顔の種が同封されていた。

なんだろうと思ってみると、育て方を書いたメモも同封されていた。種まきの前の晩の世話から、植え方、育て方まで、まるでNHK趣味の園芸のテキスト。うれしかった。

そういえば治療がはじまってから、家の庭にでることもなかった。窓越しに庭の木をみる、葉が茂りだす、春だなあと感じることはあっても、ついぞ庭に出ることもなかった。

それが朝顔の種をまいたその日から、毎朝の水やりが楽しみになった。心遣いに感謝。










朝顔の鉢もて帰る夏休み蔓の影われを越えたり

われに寄り添ふ友より届く朝顔の種封書に入れて育て方添ふ

朝顔の種蒔きて毎朝のぞきゐしプランターより双葉にょきにょき

朝顔の種夜半に含みし甘水に揚力得たり双葉ひらきぬ

蔓巻く支柱を買はむどこまでとはかりかねつつ背丈ほど選ぶ

朝顔の花開くころ家族して色を語らふ日を思ひをり

朝顔のしぼみし花を掌に残る種はたれぞ植ゑなん


2026-05-23

第三十七歌集 待つ間の長し

昨日は、毎月の大学病院通い。朝8時から午後3時まで、長い長い時間を過ごす。

しかし、今回は待つ間もまわりの景色を観察し、ことばを選んで歌をつくって過ごしたら、長い時間も苦にならなかった。病院の待ち時間が多い今日この頃、これはいいやと思った次第です。










病院で会うゆるゆる歩む二人連れ添ひきし時の今あり

杖、車椅子、子の手を取り歩みゆくどの人もみな前を向きつ

ゆくも来るもゆっくりゆっくり歩みつつ 明日のわれを見るごとし

回重ね検査手順は慣れしもの結果待つ間の長し

診察室出づる顔みな遠く見て医師とのことば耳に残せり

四回目の点滴治療の針チクリ看護師の指先やさし

ぐーぱーと手を開閉し確かむる痺れる腕に薬液がゆく

生理食塩水最後一滴流れ込みあとは薬と病との時間

この治療を終へてのちには体とがんの対決となり次回検査待つ



2026-05-21

ボストンうた紀行 ケンブリッジ

ボストンダウンタウンのチャールズリバー対岸がケンブリッジだった。

川を渡れば、これから一年半学ぶことになるマサチューセッツ工科大学がある。マサチューセッツアベニューを北へ進めばハーバード大学、さらに先には滞在しているレキシントンがある。だが、ボストンへ来たばかりの私たちには、そんな地理もまだ頭に入っていなかった。

まず向かったのはMITの機械工学科教務室だった。バスを乗り継ぎ、地図を広げ、人に道を聞きながら巨大なキャンパスを歩き回る。建物番号の意味も分からない。ようやく教務室へたどり着いたときには、半日が過ぎていた。

入学手続きを終えると、次は家探しだった。

大学にはハウジングオフィスがあり、学生向けアパートや寮の情報が地域別のキングファイルに整理されていた。しかし、それはすべて紙だった。気に入った物件を探し、自分で大家に電話し、自分で交渉する。地理も英語も不慣れな私たちには、とても無理に思えた。

広さはスクエアフィート、部屋数はベッドルーム数、家賃はドル表示。言葉だけでなく、生活の尺度そのものが違っていたのである。

そこで、不動産屋を紹介してもらうことにした。これが大正解だった。

そこから、不動産屋の車で物件を見て回る「ボストンツアー」が始まった。広い庭付き住宅へ案内されても、私たちには大きすぎた。芝生の手入れだけで大変そうだった。掃除も追いつきそうにない。困っていることを必死に説明すると、不動産屋もようやく納得した顔になった。

そして連れて行ってくれたのが、アーリントンセンター近くの室内車庫付きワンベッドルームのアパートだった。

庭はないが、横浜の公団住宅ほどの広さがあり、私たちには十分だった。喜んで感謝を伝えると、不動産屋は少し呆れたような顔をしながらも、無事契約まで進めてくれた。大家も親切な人で、安心してモーテルまで送り届けてもらった。

その後も、家具探し、車探し、大学のオープンキャンパスと慌ただしい日々が続き、気がつけば八月は終わっていた。







チャールズの川を渡ればMIT異国の学びの門ひらかれぬ

マスアベ北へ伸びゆく道の果てハーバード越えてレキシントンへ

建物の番号ばかりのキャンパスに教務室まで半日歩めり

機械科の扉たたけば異国語の波に押されて汗のみ滲む

ハウジングオフィスの棚に並びたるキングファイルの厚みに驚く

紙だけの住宅情報繰りつつ電話番号を見ても途方に

スクエアフィートと言はれ頷けど広さの感覚まだ身につかず

芝生広き家を見上げて黙り込む刈るだけで日の暮れさうにして

庭はなくワンベッドルームなれどなお横浜ほどの広さありたり

大家さん穏やかに笑み鍵渡す異国にひとつ灯ともるごと

知らぬ国知らぬ暮らしの始まりにチャールズ川の風のみ確か


2026-05-20

ボストンうた紀行 ピューターポット

レキシントンのモーテルへ着いたものの、車がなければどこへも行けない土地だった。日本のように駅前へ出れば店が並んでいるわけではない。広い道路と森と空ばかりが続いていた。

翌朝、時差で早く目が覚めた私たちは、モーテルの周囲を歩いてみた。するとすぐ近くに、いかにもニューイングランドらしい木造のカフェレストランがあった。白い窓枠、小さな看板、まだ朝の匂いの残る静かな店だった。

二人とも空腹だった。成田を発ってから、まともに落ち着いて食事をしていなかった気がする。

オレンジジュースとコーヒー、それにブルーベリーマフィンを頼んだ。焼きたてだったのだろう。温かな生地から甘い香りが立ちのぼり、口に入れるとブルーベリーの酸味が広がった。その美味しさに驚き、翌日も、その次の日も、私たちは同じ店へ通うことになった。

レキシントンセンターには、散歩をしている旅行者らしい人々がいた。独立戦争ゆかりの街ということもあり、小さな土産物屋や古い建物が並び、時間がゆっくり流れているようだった。ニューイングランドの空は高く、木々の緑も日本とはどこか違って見えた。

だが、のんびりしてばかりもいられない。私たちは大学へ行き、入学手続きを済ませなければならなかった。まだ土地勘もなく、車もない。地図を広げ、バス路線を調べ、片言の英語で人に尋ねながら、どうにか大学へ向かうルートを探した。

何度も乗り継ぎを確かめ、ようやく大学の建物へたどり着いたときには、二人ともほっとして声も出なかった。

ここから先が、本当の「ボストン生活」の始まりだったのである。

――次章 ボストンうた紀行 ケンブリッジ――














時差により早く目覚めし朝ありて異国の空の青を見てゐる

木造のカフェの窓より灯こぼれニューイングランドの朝始まりぬ

オレンジのジュースまぶしく置かれたり長旅終へし卓の静けさ

焼きたてのマフィン割れば湯気のぼるブルーベリーの香の満ちてくる

翌日、そのまた翌日も店にゆく異国に馴染む匂ひひとつに

旅行者のゆるき歩みに混じりつつわれらも街の空気吸ひたり

紙地図を広げて探すバス路線大学遠くまだ見えざりき

やうやくに大学の門くぐりたりここより始まるボストンの日々

2026-05-18

ボストンうた紀行 レキシントン

横浜を離れ、私たちは今度は海を渡った。

白楽から京浜富岡へ移ったときも、新しい生活へ踏み出す思いだったが、ボストン行きはそれとはまた違っていた。自費での引っ越しだった。家族を連れての渡米である。当時は一ドル二百四十円ほどの時代。荷物もできるだけ減らし、三度目の新生活を始めようとしていた。

まだ海外旅行が今ほど身近ではなかった頃だ。ボストンへの直行便はなく、ニューヨーク経由で向かった。成田から長い時間をかけてJFK空港へ着き、さらにボストン行きのシャトル便を待つ。三時間ほどの待ち時間だったと思うが、退屈することはなかった。

空港にいるだけで、すべてが目新しかったのである。

聞こえてくる英語、巨大な案内表示、人々の歩く速さ、コーヒーの匂い、見たこともない広さの空港。疲れているはずなのに、眼だけは冴えていた。

ようやく小さなシャトル機がボストン・ローガン空港へ着陸した頃には、成田を発ってから二十時間近くが過ぎていた。

空港からは、郊外のレキシントンに予約していたモーテルへ向かった。だが、どのくらい離れているのかもよく分からない。まだGoogle Mapなどない時代である。頼りは紙の地図だけだった。

空港で捕まえたタクシーに乗り込むと、途中から相乗り客が入ってきた。運転手は、その客をまずボストン北部の街まで送り届け、それからレキシントンへ向かうと言う。

結果として、それはボストン近郊をぐるりと巡る小さな旅になった。

車は三車線のハイウェイを疾走し、車窓から古いレンガの家、深い森、大きな湖が見えた。相乗りの客は気さくな人で、「レキシントンは独立戦争の古戦場だ」とか、「冬になると雪が深い」とか、ボストンの歴史を話してくれた。

そして別れ際、「困ったことがあったら電話しなさい」と、自宅の電話番号を書いた紙を渡してくれた。

いま思えば、あれはまだ、古き良きアメリカが残っていた時代だったのかもしれない。知らない土地へ着いたばかりの私たちは、その親切にどれほど救われたことだろう。














JFK巨大案内板見上げつつ疲れし眼のみ冴えてゐたり

成田発つ二十時間の旅果ててボストンの夜の風に立ちたり

紙地図を膝に広げてタクシーの行先告ぐる声まだ硬し

三車線ハイウェイ夜を走りゆく湖黒く森深かりき

「困ったら電話しなさい」紙片受く知らぬ国にも灯のあるごと

古きよきアメリカありし時代なり紙片の文字のいまも温かし

白楽の坂を離れて海渡り三度目の暮らし始まる

一ドルが二百四十円の時代夢にも重さありしと思ふ

モーテルの鍵受け取りし夕闇に時差の深さが脚に残れり



2026-05-17

横浜うた紀行 新杉田・京浜富岡

白楽の木造アパートを出て、私たちは京浜富岡の公団住宅へ移った。抽選には何度も外れ、十回目でようやく当たった二DLKだった。白楽の部屋二つ分ある広いリビング、新築の匂い、陽の入る窓。若い私たちには夢のような住まいだった。

京浜富岡駅から団地までは歩いて二十分。埋立地の風は強く、冬には頬が痛むほど冷たかった。それでも団地の灯が見えると安心した。

磯子区の新杉田駅からは、新都市交通システムと呼ばれるモノレールのような列車が、海沿いを走って金沢八景まで伸びていた。途中には八景島があり、車窓から見える景色はまさに「新都市」だった。

夜になると、海沿いのプラント群が無数の灯をともす。灯台の光、道路を流れる車列のライト、そのあいだを列車が静かに疾走してゆく。

南部市場を過ぎるころ、若い緑が急に視界へ入ってくる。まだ細い木々が海風に揺れていた。その先には、高い公団住宅群が並び立つ。倉庫群と住宅群が軌道を挟んで交互に現れる景色は、不思議な未来都市のようだった。

団地には同じように若い家族たちが暮らし始めていた。ベランダには布団が並び、広場には子どもの声が響いた。給湯器の音や新しい家具の匂いまでが、「これから始まる生活」を語っていた気がする。

休日に両親を招いて夕食を囲んだ。広くなった居間で食卓を囲めることが、どこか誇らしかった。夜更けになると、突然どこからともなく暴走族の車列が現れる。埋立地の広い道路に爆音が反響し、一斉に吹かされるエンジン音が夜空を震わせた。最上階のベランダへ出ると、家族みんなでその光景を眺めた。車列の最後尾には、赤色灯を点滅させたパトカーが静かについてきていた。

いま八景島は水族館を訪れる親子連れで賑わい、細かった木々は太い幹となって団地を覆っている。倉庫群の跡地にはアウトレットモールが建った。それでも夕暮れどき、車窓に灯台の光が見えると、あの新都市へ向かっていた若い日の風景が、今も静かによみがえる。

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ここでの生活は快適で楽しかった。そんな中、いつか米国で勉強をしてみたいとの思いがいよいよ募り、ここからボストンへ二人そろって移り住み、1年半の米国留学生活を再びはじめる幸運に恵まれた。

横浜うた紀行は、ここからはボストンうた紀行に引き継ぐことになります。

このブログをご覧いただいているみなさん、ボストンうた紀行も、引き続きお楽しみに!















十度目の抽選番号見つけたり若きわれらの声しばし無し

白楽の部屋ほどもある居間に立ち未来といふ語初めて思へり

団地棟並び立つ間を風抜けて若木いまだ細く揺れをり

磯子駅モノレール待つ高架下未来都市めく灯の流れゆく

休日に両親招き卓囲む広き居間こそ誇らしかりき

ベランダに皆して立てば夜の海エンジン音の空に反射す

公団の白き壁面夕焼けを受けて港の色へ染まりぬ

高層の団地の窓に灯ともりどの部屋にも若き家族ゐる


2026-05-16

横浜うた紀行 白楽・六角橋

結婚を控え、東京の親元を離れて白楽に小さなアパートを借りたのは、もう五十年も前のことである。

白楽は坂の町だった。崖の上まで家々が肩を寄せ合うように建ち、夕方になると、それぞれの窓に明かりがともった。仕事を終えて東横線で白楽駅に降り立つと、六角橋商店街を抜け、坂道を二十分ほど歩いて帰った。

商店街には、乾物屋、煎餅屋、和菓子屋、蕎麦屋、豆腐屋――昔ながらの小さな店が並んでいた。店先には季節ごとの匂いが漂っていた。昆布や鰹節の乾いた香り、醤油煎餅の焼ける匂い、蕎麦つゆの湯気。夕方になると買い物籠を提げた人々が行き交い、狭い道には子どもたちの声が響いていた。

コロッケを買う日もあれば、白菜を抱えて坂を上る日もあった。紙袋の豆腐を崩さぬよう気をつけながら歩いた夕暮れも思い出す。若かった私たちは、まだ「暮らし」というものの形を知らず、湯気の立つ味噌汁や小さな鍋を囲みながら、明日のことを話していた。

いま振り返れば、あの頃の白楽には、まだ戦後の町、昭和の匂いが残っていたように思う。店々は小さく、人と人との距離も近かった。商店街を歩けば誰かの声が聞こえ、夕方にはどこかの家の夕餉の匂いが流れてきた。

五十年が過ぎた今も、白楽の坂道は脚の記憶に残っている。買い物袋の重さも、夏のプールの歓声も、六角橋商店街の灯りも、教会の十字架も、歳月の奥で静かに暮れ残っているのである。










白楽の坂の八百屋に灯のともり大根の葉に雨まだ匂ふ

夕焼けの六角橋まで歩きつつふたりの暮らしをまだ名づけ得ず

閉店のシャッター降りる音のあと白楽駅へ夜風流るる

六角橋子らの声より夕立来るプールの水面に風先に立つ

蕎麦屋より出前の岡持揺れてゆき子ら鬼ごっこの輪をすり抜ける

商店街抜けて坂ゆく夕暮れに屋根の十字架先に見え来る

五十年過ぎても先に浮かぶもの白楽の坂と教会の屋根