先にマーク・アンドリーセンのBlogを紹介したが、今週のミュージックという書き込みの中に、すごいのを見つけた。フラメンコ・ギターの常識を打ち破る2人組、Rodrigo y Gabriela。以下のYouTubeの投稿が紹介されていた。見てビックリ。ぜひご覧ください。フラメンコの認識が変わりますよ。YouTubeの画像はこちら(ご存知と思いますが、リンクをクリックすると動画画面が始まります)
2007-07-22
最近出会った音楽:Rodrigo y Gabriela
先にマーク・アンドリーセンのBlogを紹介したが、今週のミュージックという書き込みの中に、すごいのを見つけた。フラメンコ・ギターの常識を打ち破る2人組、Rodrigo y Gabriela。以下のYouTubeの投稿が紹介されていた。見てビックリ。ぜひご覧ください。フラメンコの認識が変わりますよ。YouTubeの画像はこちら(ご存知と思いますが、リンクをクリックすると動画画面が始まります)
もう一度行ってみたい場所:Wailea Maui(2)


マウイ島でレンタカーを走らせるとき、音楽は勿論ハワイアンだ。街のレコード屋(これも今は死語となりつつあるかも)に行き、いつも新しいCDを買う。ハワイアンを聞きながら、海岸を走る。爽快そのもの。
ビクターエンターテイメントからでている『アロハヘブン』シリーズのCDがいい。楽園の空気に満たされたハワイという意味らしい。まさに、その通り。ここのURLにアクセスして、ぜひ雰囲気を味わってほしい。一曲目のLEI HALIA(Puakea Nogelmeier) / KEALII REICHEL を聞くと、すぐにでもマウイに飛んで行きたくなる。
マウイにもうまいベトナムヌードルの店がある。サイゴンカフェという。当時はインターネットをどこでも使える環境になかったので、食べたい一心で電話帳を調べて見つけた。車を30分も走らせ、隣街まで行った。看板もなにもでていない小さな店だったが、マウイ在住のひとが集まるいい雰囲気の店だった。
この店のことを思い出して、Googleで調べていたら、Small Town Maui Weekly Radio Shows というラジオ局に、サイゴンカフェの女性オーナー、ジェニファー・ニューエンさんが出演している番組が見つかった。10数年前にホノルルからマウイに移り住み、今の店を始めたそうだ。わたしたちが訪れたときは、まだ開店して間もない頃だったことになる。このラジオ局では、毎週金曜日に街のひとが登場して、その時々の話題を話し合っているようだ。マウイの今が伝わってきて懐かしい。
もう一度行ってみたい場所:Wailea Maui
夏の暑い日、ふとマウイ島に行きたいなあと思う。ホノルル空港や、マウイのカフルイ空港に降り立ったとき感じるむっとする暑さとレイの甘い香りを思い出すせいか。
日本からの観光客は、5月連休、夏休み、年末年始に集中するという。米国滞在中は、4月のイースター休み、11月の感謝祭、12月クリスマスにマウイに行った。日本からのビジターで賑わうときと、丁度補完し合っていることに気がついた。このおかげでハワイは、宿泊費がいつもより高めに設定されるハイシーズンが長くできるという。
マウイ島に行くと、いつもきまって空港から南、島の南西側のWaileaに泊まる。Wailea Destination Resortsというゴルフコースの中にあるコンドミニウムが気に入っている。100以上のユニットは、みなオーナーがいて、自分が使わない季節は管理会社に委託して貸し出すシステム。申し込み時に、どのユニットが景色がいいか、プールに近いか、様子がわかっているのでユニットを選んで申し込みができる。
もちろん部屋は、家具、食器、電気器具、庭のバーベキューセット、タオルセットなど、全部用意されていて、ホテル同様毎日部屋のセットアップもしてもらえる。家族で行ってもいたって快適な生活ができる。
到着するとまず決まってレンタカーで、近所のスーパーに買出しに出る。ジュース、ビール、ワイン、野菜、ハム、チーズ、パンなど、食料品を仕入れる。あとは部屋でのんびり昼寝。夕方には、リゾート内に3つある専用プールで泳いだ後、海岸を散歩する。夕日がとにかくきれいだ。そして、朝は必ず日の出前に起きて、朝日が上るのを見る。お日さまといっしょに生活するのが、マウイでの日課となる。
2007-07-21
マイケル・デル:デルの革命


パソコンの勝ち組、デルが最近おかしい。『デルの革命』が書かれた2000年の頃のDellと、今のDell、評価が大きく変わっている。会社の寿命は30年という本もあったが、企業の栄枯盛衰のスピードがますます加速しているようだ。
そもそもPCは、IBMをはじめとするメインフレームコンピュータが、すべての技術を自社で独自開発し、顧客が他社システムに簡単に乗り換えられないやり方に挑戦することで大きく発展した。CPUはインテルがグローバル標準となり、OSはマイクロソフトというように、独自技術からグローバル標準技術にとって変わることで、どのPCメーカも世界標準のPCを作れる。ユーザもどのメーカのPCを買っても、古いPCから新しく買ったPCに容易に乗り換えられる利便性を享受した。いわゆる垂直分業から水平分業へ。IBM独占から、それぞれ専門分野で活躍する企業が世界に飛躍することになった。
世界規模の需要を賄うため、部品も大量生産でき、価格がどんどん下がる。どのメーカのPCも大差なくなり、価格が勝負となる。こうした状況下、世界の18%のシェアを握り、受注生産でお客さまの望むPCを短期間で製造販売し、ミドルマン(販売店)のマージンなしで直接販売するデルがダントツの強さを発揮した。
ところが最近は、PCの機能がユーザに取って十分向上し、使い勝手もよくなり、新製品に買い換えてもさほどメリットがなくなってきた。さらに携帯電話でもインターネットやメールが使えて、携帯電話は持っているが、PCは持っていないという中高生やお年寄りが増えてきた。こうしてPCの販売台数が伸び悩むようになり、デルモデルに陰りがみえてきているのが今の状況。
こうしたPCメーカの栄枯盛衰の波にのまれ、アップルもPC業界で取り残されつつあった企業のひとつ。ところが、2001年にiPodを発売して、息を吹き返し、今年6月にはiPhoneを発売し、携帯電話の世界をも席捲しようとしている。技術革新の波にさらされて倒産していく会社と、新しいモノやサービスを生み出して生き残っていく会社は、何が異なるのか、今とても興味があるテーマだ。Economistの記事が説得力がある。
以下は、7年前に『デルの革命』を読んだ時の感想です。
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パーソナルコンピュータ(PC)の日本市場におけるDellの低価格攻勢が企業市場だけでなく、今後伸びが期待されるSOHOと呼ばれる中小企業市場にもおよんでいることが脅威となっている。『デルの革命』を読むことで、デルモデルの強み、日本のPCメーカとの差異が明らかになる。
Dellの革命に書かれている革命の基本は、一言でいって『いかにして、みんなが常識だと思っていることをもう一度疑ってみるか、だれもやっていないことをはじめてやるか』に集約できる。
Dellが重要と考えていること(本から抜粋)
インターネット革命企業の原則
•インターネットを活用して顧客とDell、Dellとサプライヤをよりダイレクトに、かつ低コストでリンクさせる。
•製品・サービスの改善と同じく、それらをいかに効率よく顧客に提供するかが重要である。
•自社の競争優位につながらない業務はその業務が得意な外部の企業に任せる。
•Webでの体験が現実世界の体験のどれよりも優れていなければ真に持続可能な顧客リレーションシップやロイヤルティの創出にはつながらない。
次なる成長に向けたビジョンの創出(1986年秋のブレーンストーミング)
•1992年には売上を10億ドル(1,000億円)にする。
•ブレーンストーミングの内容は、
1)今会社はどんな立場にあるのか?
2)これからどうなっていくと思えるか?
3)どんな状態をめざしたいのか?
4)その状態をめざすうえでどんなチャンスがあり、どうすればそれを活かせるのか?
•会議の結論の1つは、本当に事業を成長させていくには大企業をターゲットにしなければならない。
•第2に大企業を取り込んでいくには、業界他社に比べて断然優れたサポートを提供しなければならない。これが、業界ではじめてパソコンに関するオンサイト出張サービスを生み出した。(1992年の売上実績は86年当時目指した額の2倍、20億ドルを達成した)
1993年はじめて四半期赤字転落
•会社を経営していくのに必要とされる情報が手許にないことが明らかになった。
•事業のさまざまな部分で、コストと収入、利益の関係が十分解っていなかった。
•どの事業が意味があり、どの事業に意味がないか、社内でも意見が一致していなかった。
•感情や主観に基づいて意思決定を行っていた。
•世界で最も収益性の高い企業の一つになるには、その成功の方程式を突き止めることが必要だった。
Dellが自ら長所と思うこと
•自分たちが求めているのは、製品の優秀さだけでなく、優れた顧客サービスに対する評判であり、コストや価格だけに頼ったビジネスでは競争優位は長続きしないことを会社スタート時に認識していたこと。
•製造からエンジニアリング、販売、サポートに至る社内全体を、顧客の要望を理解するプロセスに参加させること。
•他の人が不可能だ、ありえないと思っていることをやるのは楽しい。予想外のことを実現するのはワクワクすると思うこと。
•会社としての優先事項として「やりがいのある、大胆不敵な大目標」を定めていること。
Dellの現状(1999年当時)
•販売員が電話で注文を受けている最中に、商品の利益率を確認できる。
•販売員の報酬は販売した商品の利益率しだいで決まる。
•顧客とのコミュニケーションでは「あなたは1回きりのお客様ではありません。生涯変わらず奉仕いたします」というメッセージを発信している。
•製品切り替え時の過剰・不良部品在庫(E&O)はパソコン1台当り30~50セント。
•1996年6月Web直販開始、半年後の12月には1日売上1億ドル(1.2億円)達成。
•2~3年以内(1998~99年)にはすべての顧客取引の50%をオンラインで行うと計画した。
•購入部品の90%は40社のサプライヤから購入する。
•完成品としてのパソコンの不良率(初期不良率?)は100万台で1,000台未満(1,000ppm)
Dellがやっていないこと
•間接販売はやらない(直販に集中)
•物流会社保有しない(サードパーティロジスティクスに完全委託)
•キーでない部材の調達管理はしない(部材サプライヤが生産計画を見ながらDellに変わって自動補充を行う)
•部品・ユニット不良一次切り分けのみ、対策検討は自ら行わない(サプライヤが品質技術者を常駐させて短LTで分析、課題解決をDell工場オンサイトで実施。課題解決LTが長いと他のサプライヤに乗り換える)
•海外製造委託先企業プロセスの品質監査はDell社員が行わない(資格認定を受けた現地技術者を使ったプロセス監査を実施)
•完成品流通センター倉庫は持たない(工場ドックから直接サードパーティロジスティクス会社に引渡し)
顧客としてのDellへの対応を再考しよう
デバイスサプライヤとして、Dellのようなムダのないオペレーションを基本とする顧客への対応を考えると、日本企業は以下の3つをどうしても成し遂げねばならないと考えます。
1)「他の人が不可能だ、ありえないと思っていることをやるのは楽しい。予想外のことを実現するのはワクワクする」と思う顧客を相手にするには、こちらはもっと変化を好む集団、変化が日常茶飯事という会社になる必要がある。
2)「製造からエンジニアリング、販売、サポートに至る社内全体を、顧客の要望を理解するプロセスに参加させ」顧客の望むことを是が非でもやり通そうとするDellという顧客を相手にするには、Dellと一緒に会社の全部門を総動員してDellの顧客を知る努力をしなければついていけない。
3)「優れた顧客サービスに対する評判が生命線であり、コストや価格だけに頼ったビジネスでは競争優位は長続きしない」と考えている顧客から顧客満足度No.1と認定されてこそ、真のCSナンバーワン企業と認められる。
思い出のコンサート:Boston Symphony Orchestra

ボストンで1回だけシンフォニーホールのコンサートに出かけた。残念ながらOzawaのコンサート切符は取れなかった。
シンフォニーホールはボストンのダウンタウンにあり、駐車場を確保するのが大変。ガソリンスタンドがコンサートの夜は臨時駐車場に変わる。
Seiji Ozawaは当時ボストンの常任指揮者だった。チェスナットヒルのショピングモールに買い物に行ったときに出会ったりする。もちろん遠くから眺めて、すごいなあ~、なんて関心していただけ。確かテレビの番組で、生のOzawaをおいかける番組があったと思う。とても気さくな話し方をする。若い人を熱心に指導する。ボストンのタングルウッドでも毎年若手音楽家を集めて、若手だけのコンサートを開いていた。
わたしが生まれてはじめてクラシックコンサートに行ったのは、当時ニッポン放送が新日鉄コンサートをやっていて、公開録音のコンサートに葉書で応募して当たった時だったと思う。当時、渋谷公会堂や日比谷公会堂がコンサート会場だった。オザワが指揮をしていた。それから、年末にはオザワの第九に行くようになった。オザワは世界に飛び立ち、Ozawaになった。そして、ボストンでOzawaに会った。
これまでの30年、その時々に、あの人は今どこで何をしているだろう、と気にかかる人がいた。Ozawaは、そういうひとりで、いろいろな出会いがあったと思う。(もちろんこちらの一方的な思いだけですが)
もう一度行ってみたい場所:Cape Cod






ボストンから海に沿って南下するとプリマスに至る。プリマスをさらに南下すると、写真のように釜の形をした半島が現れる。これがCape Cod半島。半島はもともとメインランドと陸続きだったが、1900年代はじめに、運河が作られ、Cape Codは島となった。今は、メインランドと3つの橋で結ばれている。
Cape Codは長い湿地帯が続き、野鳥のパラダイスだ。ずいぶん長いこと車を走らせるとやっと先端の街、プロバンスタウンに到着する。静かな港町。白砂の美しいビーチが自慢で夏は避暑の人で賑わう。10年前に一緒に働いた元アメリカ人ボスも、Cape Codに別荘があるといっていたことを思い出した。
ボストンの夏は短いが、とても印象に残っている。こうした美しいビーチで過ごした日々と、冬の凍てつく寒い日々との変化があまりにも大きいからかもしれない。
2007-07-19
もう一度行ってみたい場所:Plymouth MA





Plymouth Rockに刻まれている1620という文字が、頭に刷り込まれている。メイフラワー号がここプリマス港に帰着したのが、今から400年少し前。今でもプリマスプランテーションを訪れると、イギリスから渡ってきた人びとの暮らしを見て取れる。
マサチューセッツということばは、トウモロコシをもらって命をつなぐことができた命の恩人であるネイティブインディアン、マサソイからきたという話をプリマスで聞いた覚えがある。トウモロコシの収穫を祝う感謝祭の由来もWax Museumの展示から知った。
あれからたかだか400年で、アメリカの発展は目を見るばかり。そして世界の発展、膨張もすごいスピードで進んでいる。これまでの人口増加や、経済発展の推移をグラフで表わせば、まさしく The Long Tail。この400年がHeadで急激に人口もGDPもエネルギー消費も増大し、それまでの1000年、10000年のカーブはまさしくLong Tailになっているに違いない。
Plymouthはそういうことを考えさせられる場所だが、家族とこの土地を訪れたときには、うらびれた港街にひっそりと海に面して佇むレストランで、Lobster&Crab Meat Sandwichを食べたことだけ、鮮明に思い出す。食べ物の記憶こそが、すべてにまさる思い出となるのは、生き物の悲しい性か。それにしてもおいしいサンドイッチだった。
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